やっぱアレですな、東京は亜熱帯地方と地理の教科書を書き換えた方が良いですな。ハイ。
さて、昨日書こうかと思っていたネタですが、この春から始まった日テレ様の超一押し番組
「 A 」(日曜19:58〜20:52)
の話です。
鳴り物入りの新番組として、記者会見でライバルのみのもんたに挑戦状を叩き付けてしまったりと、なかなか派手な前哨戦でかなりの話題を提供してくれたのですが、フタをあけてビクーリ。
初回視聴率が9.3%、その後も鳴かず飛ばず、平均視聴率は7.7%だそうです。深夜枠なら大健闘なのにね。タモリ倶楽部と良い勝負かもしれませんな。
番組開始前に日テレ担当の広告代理店の営業がスポンサーに
「えぇ、久米サンが充電後初めてやる番組ッスよ!数字(視聴率)が取れないワケが無いじゃないスか!!」
と言ってCM枠を高く売りつけたんでしょうな(推定)。
いくら裏番組にNHKの「義経」が有るとはいえ、あまりにも酷い数字にスポンサーも激怒したんでしょうねぇ。
これで土屋元編成部長(電波少年のT部長。失脚して現在閑職へ、という噂ですが真偽はのほどは定かでは有りません。)の復活が・・・あるかもしれませんねぇ。
ぁゃゃまで取りそろえて数字取りには万全の体制で挑んだのですが、結果は皆さんご存じの通り。
気になる番組終了までの経緯は以下の通り。((c)日刊スポーツ)
【04年12月29日 久米のテレビ復帰が判明】複数の局からオファーがあったが、久米の「週末レギュラーを」の希望に合致した日本テレビに決定。「久米起用は、同局上層部が強く望んだこと」との証言もあり、始めから久米と同局現場のボタンの掛け違いが起きていた可能性もある。
【05年2月1日 復帰会見】久米が「面白くなければすぐ辞める」と決意表明。実験的な番組に挑戦するため、視聴率低迷も覚悟していたことをうかがわせた。一方、同局現場はバラエティー番組の熟成を得意としてきた。今や視聴率20%も記録する「伊東家の食卓」(火曜午後7時)は、97年10月の開始当初は10%前後だったが、開始1年後に始めた「裏ワザコーナー」を起爆剤に数字を伸ばした。番組への両者の基本的スタンスの違いが、この時点で発芽していた。
【3月23日 番組制作発表会見】司会でコンビを組む松浦亜弥も同席。ある関係者は、キャスティングや企画内容について「実は久米さんの発言力は一出演者の立場でしかなく、日テレが全権を握っていた」とし、久米の意向が十分反映されないまま、初回放送に突入したことを示唆した。
【4月17日 初回放送】視聴率は9・3%。94年から10年連続で視聴率3冠を誇った同局は、04年の年間視聴率でフジにトップを譲っていた。久米起用は首位奪回の目玉の1つだっただけに、局内に走った衝撃は大きかったという。
【5月30日 同局定例会見】氏家斉一郎会長らが「視聴者ニーズに合ってない。6月からテコ入れする」と発言。料理コーナーなど「生の動き」を増やしマイナーチェンジを図った。久米側は「世相を反映した時事ネタを扱う番組に根本から変えるべき」との意向を持ち、局側のテコ入れ効果を疑問視していたという。
【6月9日 19、26日放送分収録】5日放送分が4・7%と最低を記録し、久米が降板の意思をスタッフに伝える。
【19日 降板意思漏れ】久米が情報管理の甘さに激怒。局側は続投を説得できなくなったという。番組は7月の編成にも組み込まれていたが、これを機に打ち切りに傾き、20日に決定。スポンサー7社への事情説明などが始まった。局側は社内、広告代理店などにかん口令を出し、系列各局にも詳細は伝えなかった。
【21日 打ち切り正式発表】出演者の中にはこの日になって知らされた者もいた。次の収録が23日に予定されていたため、突然スケジュールが空いたことで困惑も拡大した。しかし、同局内には「結果的に久米さんも局も、傷が浅いうちに撤退できた」と打ち切りに安どする声も出ている。
日テレに久米を招聘するのに、「おしゃれ関係」に出ていた(久米が嫌いな)古館のクビを要求し現実となったが、後任の藤木直人が司会となった後番組の「おしゃれイズム」は古館ほど数字が取れていない。これで資生堂(この枠のスポンサー)は大怒りモンに違いない。
完全に編成局は番組編成を間違えたとしか言いようがないですな。局長、間違いなくクビだなw。
「A」の最後は特段、最終回の挨拶というものも番組中はなく、通常通りの内容だったらしい。
最後にコレ

が出てオシマイだったそうだ。
なんとも久米らしい...。
つーか、公共の電波を何だと思ってんでしょうねぇ。傲慢なのも甚だしい(ハイ、ココオコルトコネー)。
久米の番組はもう二度と見たくない、いや、TVの画面から消えて欲しいと思ったアッシですた。
追伸:そんな久米の新番組「B」が近日中に放送開始となるらしい。内容は部○問題??(またすぐ打ち切りだ罠w)